南アルプス市ピアノ教室 講師紹介

 

小澤 靖子(おざわ やすこ)

 

武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科(ピアノ専攻)卒業

 

ピアノを富山紀美子、飯野夏江両氏に師事。第4回山梨県民文化祭にてフルートトリオ奨励賞受賞。コンサートでは合唱団、声楽、ヴァイオリン、フルートとも共演。現在、ピアノ教室主宰。

山梨県生き生き教育音楽講師

山梨県音楽療法研究会会員

フィギャーノートベーシックインストラクター

 

♪これまでの指導歴

(ピアノ・ソルフェージュ指導)

御茶ノ水女子大学文教育学部芸術表現行動学科

 音楽表現コース(ピアノ専攻)入学

・玉川大学芸術学部音楽学科演奏・創作コース(ピアノ専攻)入学

・東邦音楽短期大学音楽学部器器楽専攻ピアノコース入学

・武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科(フルート専攻)入学

・昭和音楽大学音楽学部声楽科入学

・日本クラシック音楽コンクール本戦出場

・教員採用試験のためのピアノ実技取得

・保育資格試験のためのピアノ実技取得

 

 

 

 

 

 

 


幼少の頃 

幼い頃は口数が少なく、自分から友達を作れるようなタイプではなかった。

6歳から地元で個人のピアノ教室に通い始め、年中から年長の途中まで、午前中週に1回(先生のご意向で、)保育園を休んでレッスンに通った。

そのあとは夕方からの通常レッスンとなった。 

お指がよく動くね〜、と褒められると嬉しくて、ピアノのレッスンは毎週楽しみだった。

 

小学生 

小学3年生のころから音大の先生のレッスンを受けるようになった。 

もともと習っている先生のご自宅に東京から指導にきてくれていた。

ピアノを習い始めたばかりの頃に使うピアノの教材の中に、サブバイエルというのがあり、いくつか物語が載って いる。

その中の「真珠の首飾り」という物語をピアノの先生と一緒に読んだ記憶があった。 

その物語を読んだ後、先生はご自分のパールのネックレスを持ってきて見せてくれた。 

「ほら、一粒一粒全部同じ大きさで、光って綺麗でしょ?あなたもこういう音を出せるようにがんばってね」とおっ しゃった。

その時はこういう音という意味がピンとこなかったが、綺麗なことだけは分かった。 

音大の先生の音を初めて聴いた時、これが真珠の首飾りの音なんだ!とびっくりして感動したのを今もはっきり と覚えている。

その日から現在まで、私の目標は先生の弾く真珠のような音色を出すことだ。

ピアノの練習も、この大きな(大きすぎる)目標があったから、全然苦に思ったことはない。 

もちろん面倒くさいとは思うことはある。でも、かなり練習する時間は増えたと思う。

 5年生のとき卒業式の練習で、校歌や在校生の合唱、先生方の合唱の伴奏を全部頼まれて、ほとんどピアノの 前に座っていたことがあった。

得意なピアノをずっと弾くことができて、先生方にも褒められてすごく嬉しかった。 

地元の先生の方針で、コンクールなどに出ることはなかったがピアノの発表会では毎回2台8手の合奏のメンバーに選ばれて、合奏や連弾の楽しさも知ることができた。

 

中学生

中学生になっても、ピアノのレッスンは本当に楽しくて、ショパンのワルツや、幻想即興曲、ベートーヴェンのソナタを思ったよりスラスラ弾くことができて、嬉しかった。 

毎日のハノンやツエルニーの練習曲をやる意味が分かった気がした。

学校では、私を受け入れてくれる友人達がいた。

彼女らは今でも中学時代と変わることなく、温和で優しさあふれる心の広い素敵な人たちばかりだ。 

部活は、それまでやったこともない剣道部にただ練習が少ないと言う理由だけで入部した。 

不純な動機で入った剣道部だったが友達を含め学年で3人しかいなかった私たちを、一つ学年が上の、先輩方 が本当に可愛がってくれて、たまにある練習に行くと大歓迎してくれて一緒にズボン蹴りをして遊んでくれた。 

それでも多少は剣道の練習もして3年生になる頃には団体戦で3位を取ったりして、賞状をもらったりした。

 

学生

高校3年間は音大を目指し、1日何時間もピアノを弾いた。 

街ぐるみでスポーツが一生懸命な田舎に、大学を卒業する頃には音楽ホールができているといいなと期待を持 ちながら、絶対一回で合格してやる!とがんばった。

今では図書館といっしょになったホールや美術館が建設さ れている。 

受験期間はホテルから門下の先輩のピアノをお借りして、練習しては試験に行き、先生にレッスンもしてもらい、 雪の降る中、また試験会場に向かうと言う日々を1週間続けた。

幼い頃からレッスンをしていただいていた先生がいらっしゃる音大に受かって本当に嬉しかった。 

気の合う友人もできて、一人暮らしで東京にも住んで、ウキウキな大学生活が始まった。。

 しかし、先生がどんどん難曲を選曲してくれ、取り組めば取り組むほど指が短いことのハンデが大きいと自覚していった。 

もちろん前から分かってはいたが、いくら練習してもこれだけはどうにもならなかったし、指が長いお友達は当然 苦もなくオクターフ以上゙を弾けていたので、なんだか持って生まれたものの不公平さを感じた。コンクールなどに出ていればもっと早く自覚できていたかもしれないが、なんだかのんびり楽しく私はピアノを弾いてきたのだなあと自分に呆れたりもした。

しかし、今思えば、音楽のことだけを思う存分できたこの時期に、もっと欲を出して色々な弾き方の研究もして、夢や 希望を捨てずにいれば良かったなと思う。

 

社会人・独身 

大学を卒業する少し前からピアノを教えて欲しいという子が何人かいて、4年生の終わりにはレッスンを始めてい た。 

いちばん初めに教えた5歳の女の子、あまりにも小さなもみじのような手を見て、 本当にこの子にピアノを教えられるのかな?と人知れずおののいた。

ただ、想像していたより幼い子供達のしぐさ や、無邪気な笑顔が可愛くて、子供って本当に天使なんだ、と幸せな気持ちになった。

月1回の東京へのピアノのレッスンと、合唱団に入って日本全国のみならず、海外のコンクールに行くのも本当 に楽しかった。 

公共の建物での柿落としや、ベヒシュタインを銀行に初めて設置した時などピアノの演奏をする機会をいただいた。

公立の中学校で非常勤講師をしたり、県からの依頼で小学校の合唱指導へも行き、学校の先生方との繋がりも でき、とても貴重な経験となっている。 

ピアノ教室はクチコミで50人をこえる生徒が集まり、充実した日々だった。

 

結婚

28歳の時、1年間の遠距離のあと結婚した。

夫の仕事の関係で、教えていた生徒たちは何人かの先生にお願いして、私も県外で暮らし始めた。

ところが、長男を授かった頃、主人の仕事場をうちの実家のすぐ近くに移すこととなり、また帰郷した。

 

子育て

31歳の時長男を、34歳で次男が生まれてから、子育て中心の日々を送ってきた。 

長男が生まれたばかりの頃、夫の開業も重なったので胃潰瘍が三つできるくらい大変だった。 

息子たち2人とも小学校から広い視野を養ってほしいと思い、私立へ入学させた。

実家が近かったので、両親が子供達をみてくれて、生徒の親御さんのご理解のもと、ピアノ教室も再開できた。 

40代半ばで精神的なところから体を壊したが、無邪気な生徒達と過ごすピアノのレッスンは私にとってオアシス のような場所だった。

 

 

50代~生徒さん達とレッスンの日々

2人の子供たちも成長し、少し心と時間の余裕がでてきて、東京への自分のレッスンも再開した。憧れの先生の真珠の音を出せるように。

家でのレッスンでは・・・

小さな生徒さんは、おんぷカードを使って音符を覚えたり、ipadを使ってリズム打ちをしたり、手遊びしたりすると、自然にみんな笑顔になってきます。

指体操から始めることで、素早い指の動きや粒の揃った音色が楽に弾けるようになっていきます。

ピアノ練習カードを取り入れ、ピアノの練習が日々の生活のルーティンとして身に付き、楽しく上達していき、『やっぱりピアノって楽しい!』『いろんな曲が弾けるようになりたい!』と言ってくれる生徒達が大勢います。

少し成長した生徒さん達とは2台あるグランドピアノを生かして、ブルクミュラーやソナチネが1曲弾けるようになるたび2台4手で合奏をして生徒と楽しむ時間を大切にしています。

また学校の行事で伴奏者に選ばれることから始まり、県の芸術祭で最優秀伴奏賞をもらったり、さらに全国クラシック音楽コンクールの本選に出場するなど、楽しく続けてきたピアノを生かし、高校生までにピアノを通して自信をつけられています。大学は音楽科を選び、さらにその先の勉強を深めていらっしゃる生徒さんもいます。

 

 生徒さんたちがピアノの上達と共に、音楽が好きなれるよう、いろんな工夫をしながらレッスンしています。

 

 

 

 

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